活動日誌

主に登山とスキーの記録です

飯豊山 切合小屋で登頂断念 2020年 9月 1日- 2日

飯豊山へ登る。
飯豊山は登山口がたくさんあるが西会津町の弥平四郎登山口から登る。
県道熱塩加納山都西会津線を北上、こんな山奥にも人が住んでいるんだと思うような奥地が弥平四郎の集落である。
舗装路は弥平四郎まで、弥平四郎林道に入るとダートになり15km/hくらいしか出せない。
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8時前登山口駐車場に到着。
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飯豊山は山岳道路や索道が無いので長い行程になる。
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弥平四郎登山口の標高は694m、山頂は2105m、標高差は単純に考えても1411m、実際はそれ以上にアップダウンがある。
まずは県境稜線上の上ノ越目指して標高差500mの登り、約2時間登り続けてやっと上ノ越。
平地は明るいけど、行く手はガスが流れて見通しが悪い。
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木の葉に溜まっていた水滴が風で落ちてくるので冷たい。
更に2時間アップダウンを繰り返して疣岩山。
ここで新長坂コースが分岐する、新長坂へ向かえば弥平四郎に戻れる。
天気は回復しないし、足裏が痛いので弥平四郎に帰ろうかと逡巡する。
しかしあと1時間で三国小屋だ、疲れたら三国小屋で泊まるという選択肢もあるかと思い直して先に進む。
三国小屋で小休止。
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弥平四郎9.1kmの表示、実際は弥平四郎から4kmは車で走ってるから5kmくらいか。
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足裏は何とかなりそうなので先に進む。
天候は相変わらずでガスが濃い。
三国と言うくらいでここが福島山形新潟の三県境になっている。
そしてこの先は飯豊山頂を経て御西岳まで登山道の幅だけ福島県が細長く山形新潟の県境に割って入るような不思議な県境になっている。
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元々飯豊山頂のある東蒲原郡福島県だったが、福島県庁の移転問題のあおりを受け1886年新潟県編入されてしまった。
しかし福島県一ノ木村は山頂にある飯豊山神社は我が村のものだと主張、数年の歳月を経て主張が認められたため、この変な県境が出来上がった。
その為登山道をまたぐと左足は新潟県、右足は山形県、その間にある登山道は福島県という状態になる。
実際は標識があるわけじゃないので実感はないけどそういうことである。
標識代わりに自分で書いてみた。
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真っ白な登山道を歩き続けて15時過ぎ、切合小屋に到着。
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この日はここまで、閑散期で管理人が里に下りていて、小屋は半分しか開放されてないけど宿泊者は少なく、2階を貸切利用できた。
無人小屋に泊まるのはニイカップポロシリ山荘以来2度目だ。
担ぎ上げた酒とカップ飯で夕食として、日没とともに就寝。
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深夜2時半、雨の音で目が覚めた、4時になると早出する人がガサゴソし始める。
まだ暗いが雨が屋根を打つ音は聞こえる。
とてもじゃないが歩き始める気は無いので二度寝
8時頃起きるが天候は変わらず、暇なのでトイレの水が無くなりそうだったので水場からバケツで補充したりして時間つぶし。

9時、天候の回復見込み無しと判断、雨が弱まってきたので下山することに決めた。
飯豊山は山頂から海を見なきゃだめだ、この雨じゃ山頂に行っても景色は見えない。
それにしても新潟も山形も会津も傘マークは無いのに飯豊山だけ雨が降っているというのはどういう事だ?

急いでも仕方ないのでゆっくり確実に歩く、岩や木の根は濡れると滑りやすくなる。
巻岩山辺りでやっとガスが晴れてきた。
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上ノ越で最後の休憩、ここで合羽は脱いで薄着にしておく。
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上ノ越から樹林帯で風は吹かず、気温は高く汗だくになりながら駐車場に戻ってきた。
まあ、山登りはこんなこともある、またいつか天気が良い時に来てみたい。